好きだ、愛してる。彼女の前で一度でもそんな言葉を言えたらよかったのに。
そうしたら僕等は今と違った関係になっていただろうか。
彼女、は、並盛中学校という、その名の通りごくごく平凡な中学校に通っている一般人の少女だ。
三年A組の園芸委員、好きな食べ物はチョコレートケーキで、嫌いな食べ物は和食。彼女自身も、ある一部を除いては普通だった。
そんな彼女と、学校も趣味も何もかもで接点がない僕が出会ったのは、黒曜デパートの中だった。
いつもは千種に行かせている買い物も、千種が風邪で寝こんでいるせいで、僕が買い物に行く羽目になったのだ。(買い物は、犬には絶対任せません)(犬は必要なものと言いつつ、お菓子を大量に買ってきてしまいますからね)
黒曜センターからデパートまでは同じ町内にしては結構遠く、バスで十分行ってやっと着いた。
きっと、町の端と端だから遠く感じられるのだろう、そんなくだらないことを考えながら、デパートに入る。
その日はとても暑い夏の日だったから、ごうっと自動ドアが開いた音と共に冷たい風が僕の体に纏わりついて、結構心地よかった。
「(食品売り場はどこでしたっけ)」
入って早々、自動ドア付近できょろきょろと、辺りを見回す。
隣にある案内図は見てみたのだが、ごちゃごちゃと字が詰まっていて、見づらかったからやめた。
だが、このデパートには前に一回千種の手伝いで来たことがあって、地下一階に食品売り場があるということを思いだし、すたすたと階段の方に向かって歩き出す。
エレベーターやエスカレーターは、使うのが何となく怖かった。その理由は、それが人によって作られたものだから信用できなくて、だと思う。
いや、実際の所そうなのだろう。何故なら、まだ僕達の身体と心には、エストラーネオのことが強く残っているのだから。
結構なスピードで走ったから、息を切らしたまま地下一階に到着した。
近くの魚売り場から流れてくる独特の生臭さが、鼻の奥をツンと刺激する。
僕は、なるべくその匂いをかぎたくなかったから、口で息をしながら走っていって、灰色のカートとピンクのカゴをとった。
すると、丁度隣にいた髪の長い成人女性――三十路、または前後でしょうか――が、うっとりとした目つきでこちらを見る。が、僕は鬱陶しくていつもの愛想笑いも浮かべないまま、そのままカートを押し出した。
「あいびき肉――、と」
しばらく行って、精肉売り場に到着する。
千種の買い物メモにあいびき肉と書いてあったので、多分今日はハンバーグなのだろうと考えながら、発泡スチロールを手に取ろうとした。
だが、在り来たりな少女漫画並のメロドラマチックに、誰かの手と僕の手が、同時にその肉のところに伸ばされてふれあった。
「あっ」
反射的に僕は手を引き、相手も手を引く。但し、声を発したのは相手の方だけだったが。
その後はやはりメロドラマ宜しく、すみません、と相手に謝られて、いいえこちらも、と言う……筈だったのだが、相手の顔を見て僕は息を飲んだ。
余りにも整っている否、整いすぎている顔立ち、二重まぶたのくるんとした大きな目に、純白の肌、真紅の唇。さながら、現代に生きるヴィーナスのような女性だった。
スタイルもモデル並に整っていて、でも身長から僕とそんなに違う年でもなさそうで、僕は吃驚した。
これまでずっと長い時間を生きてきたが、それでもこんな綺麗な女性は、一回も見たことが無かったからだ。
あまりの美しさに、幻術使いの僕でさえも、これが幻か、はたまた夢御伽が疑ってしまう。そう、これが彼女のある一部の普通じゃない所、だ。
「?」
美少女はずっと自身を見つめる僕を不思議に見つめる。
その仕草もまた、何も言いようがない程麗しく、可愛らしくて、僕は目を細めた。
「こちらこそすみませんでした」
「いいえー」
「……失礼ですが、美しきセニョリーナ。御名前をお聞きしても?」
いきなりの質問に、彼女は困った、もしくは驚いたのだろう。もともと大きな目を、もっと大きくさせて、こちらを凝視している。
だが、驚いたのは質問した僕も同じで、自分でその言葉を言っておきながら、咄嗟に口元を押さえた。
――嗚呼、なんて失態をおかしてしまったのだろうか、僕は。
後悔は最早後の祭りで、後は彼女の対応を待つばかりである。
最低でも、彼女に変態やら何やらと、マイナス思考に思われていることも覚悟しておく。そして、その言葉を言われることも。
これまで長い人生を歩んできたが、こういう時にそれ以外の言葉を出す女性なんていなかった。まあ、男にはいたが。
そんな、不安な気持ちがどんどん募っていって、どうしよう、と本気で思い始めた時だった。
彼女がその赤い唇で言葉を紡ぎ出したのは。
「私、の名前は、です。初めまして」
「……ですか、良い名前ですね。初めまして」
「貴方の御名前は何ですか?」
「僕ですか? ……クフ、黒曜中の六道骸です」
本当に、予想外だった。
彼女がまともに答えてくれたことも、僕の名前を聞いてきたことも。
そこから僕達は世間話で仲良くなっていって、連絡先も互いに教え合い、以後もちょくちょくと会うようになった。
僕にとって、彼女といる時間は長い筈なのにとても短くて、それでいてまだたった数回しか会っていないというのに、彼女と会う時間だけが安らぎの時間で。
といる時だけは、本当に笑えて、本当に哀しめて、本当に愛しいと思えた。僕にとって、は徐々に大切な存在になっていったのだ。(最初から、そうだったのかもしれませんが)(つまりは一目惚れというヤツです)
今日、もそんな彼女と会う日だった。
だが待ち合わせの場所に、彼女は一人では来なかった。
僕がとても嫌いな、雲雀恭弥と一緒に来たのだ。
「こんにちは、。……横にいる男は誰ですか?」
「こんにちは骸さん! あのね、こちら、今日から私と付き合うことになった、雲雀恭弥さん。並盛中学校の風紀委員長なの」
「……、こんなのと会うことは無いよ。もう行こう」
「あ、ごめん骸さん! 後でね!」
「後でも会うことはないよ、」
何も言えなかった。
詳しく言うと、ショックの為、口を開くことすら出来なかった。
だんだんと遠ざかっていく二人の影は、騒がしく喋ってどんどん寄り添っていって、そして一つになる。
――耐え切れなかった。
彼女にはずっと幸せでいて欲しいとは、以前からずっと思っていたが、それでもこれから隣にいるのはずっと自分だと思いたかった。
の隣に他の男がいることなど、考えたくもなかった。
伸ばした手は宙をさ迷って、頼りなく消えた。
地面にポツリ、と水玉模様が浮き出る。――ああ、雨だ。
思い出に添える彼岸花
(あの憎き男を殺してやりたい)(だけどやはり、君には幸せになって欲しいんです)
(愛しています)
071103 企画「Emotion of Love」様に。お題:hazy様