その日は、朝からとても暑かった。否、現在進行形で暑い。


権力にものを言わせて空調を完璧に設えたこの応接室ですら、涼しい風が循環しながら、窓の外からの太陽光に焼かれていて、思うように温度が下がらない。
2学期に入れば文化祭が近い。彼はいらいらを押し殺し、文化祭に関する書類の、コピーではない方、に目を通していた。
何故コピーではないものが風紀委員の手元にあるのかといえば、それは風紀委員が文化祭を取り仕切るからであり。生徒会は表は取り仕切るものの何の権限もないからである。



8月も初旬。暑さも最高に高まってくる時期にも関わらず、彼、雲雀恭弥は毎日学校に顔を出していた。夏休みなど風紀委員長である彼にはもはや関係無いのかもしれなかった。


(あつい)


心頭を滅却すれば火もまた涼し。
そう思い我慢していたのだが、彼は声に出さずに脳内でようやくそう呟いた。背中に照りつける太陽。応接室で彼の座る革張りの椅子が照り返し、背中に振りかかる陽光は、暑い。とにかく熱かった。
しかし昼間からカーテンを閉め切るというのも、不健康な話だ。
大仰にため息を吐いた雲雀恭弥は合理的な手段にでることにする。手元の書類を持ち、今作業をしているデスクの目の前の学ランの上着をかけたままのソファに移動した。
そうすると今まで座る人の居なかったソファは冷たく、うっすらと汗をかいていた彼の熱を一気に奪っていく。


ふと顔を上げると正面の時計が目に入った。時刻は11時を少し過ぎた頃だ。暑さも今日一番へと向かう中、そろそろ毎日の訪問者がやってくる時間だった。
案の定、噂をすればなんとやら、か。コンコン、と扉がノックされる音が、空調の音以外で静まり返った室内に響く。彼のイライラは、押し殺すような大きさではなくなっている。「雲雀さん、です」「…入れば」毎日、彼女は律儀に同じやり取りを繰り返した。


「失礼します。うわー涼しい」
「やあ。…窓際は暑いよ」
「でしょうね。今日の最高気温、35度越えみたいですよ」


書類に目を通しながら、彼女が室内に入ってくる足音を聞く。断りもなしには雲雀恭弥の正面のソファに座るが、彼は何も言わなかった。これもまた、夏休みに入ってから彼らが繰り返したやりとりの一つだ。
がさ、と机の上にビニール袋が置かれる音がした。ごとと表面とぶつかったらしき物体は堅そうでなんだと雲雀恭弥は目線を文字からそれへと移した。


「アイスです。涼しくなるかと思って、コンビニで買って来たんですが」


これ、雲雀さんの分です。彼女はそう言って三つ入っているアイスのうち、一つを雲雀恭弥の方へと押しやった。「あと一つはだれの?」「もちろん哲のです」雲雀恭弥は黙ってそれを受け取り、書類を脇へと追いやった。彼女は満足そうにそれを見て微笑んでから、夏休みに入って権力にものを言わせて取り付けた簡易冷蔵庫の冷凍室に、あと一つ、彼女の幼馴染の草壁のために残ったアイスを入れてから、またそこへ戻ってきた。
「いただきます」、二人は律儀に、しかし声が重ならずバラバラにそう挨拶をしてからかぽ、とふたを開けてアイスを食べ始める。コンビニで付けてくれる薄い木の棒は食べにくいが文句を言うほどでもない。


「少し溶けてるじゃないか」
「仕方ないです、コンビニから並中まで少し掛かりますから」
「ドライアイスでも入れたら?」
「良い案ですけど…それはドライアイスを私に持参してこい、と?」


答えずに微かに笑って肩をすくめてみれば、「さあ?」とでも言ったように思ったのか彼女は肩を少しだけ落として背凭れに寄り掛かった。訳が分からない。そう言いたげな表情だが何か言うでもなく、アイスに注がれた視線に、手元は黙って動いた。

二人の間には沈黙が落ちて、それを破りたがるように空調の機械音が割り込む。ミーン、ミーンと蝉の音が応接室にまで入り込んでくる。
雲雀はバニラ味を、彼女はチョコ味を。もくもくと食べ進めている内にも、外は暑さを増している。
ふ、と、彼女は思う。教室で聞く時と音が違うなあ。
蝉の音が、遠いのである。


「雲雀さん、ここだと、蝉の音が遠いですね」
「…ああ、窓を閉めているからじゃない?教室は空調なんてないから窓を開けたままでしょ」


視線を上げて問いかけると、雲雀恭弥はすでにアイスを食べ終わっており、再び書類に向かっていた。
まだ1/3程中身が残っている彼女は、なるほど、と納得しつつも、慌てて続きを食べだした。これを食べ終わったらしばらく涼んで、日課になってる保健室行きと、運動部の怪我人チェックに出かけなくてはいけなかった。
彼女は保健委員長であるので、運動部が活発になる夏には怪我人チェックに余念がないのだった。




「ん?」


いつの間にか書類に集中していた雲雀恭弥は、いつもなら聞こえるはずの声が聞こえないことに気づいて顔を上げた。
いつもであれば、彼女はあの時間にやってきて、お昼を食べれば出ていくはずだ。顔を上げれば目の前のソファで眠りこんでいる彼女の姿。
「では雲雀さん、私は保健室の方に行きますが、むやみやたらと人をかみ殺さないように気を付けてくださいね」怪我人が出たらすぐに連絡するように、といい置いて出ていくのが常の彼女だ。彼女は雲雀恭弥の一つ下の学年なので、彼は彼女が授業中に居眠りなどしているのを見たことはないが、学校で眠るということをしなさそうな彼女であったので、それなりに、驚いた。
どうやら弁当は常のように食べていたようで、食べ終わって蓋を閉めた状態のままで机の上に置かれていた。


「何をしているんだか、君は」


アイスの食べ終わった後の容器は、いつの間にか彼の分もゴミ箱に捨てられていた。いつもより集中していたのは認めるが、近い他人の動作に気付かないなんてことがあるとは思わなかった。
雲雀恭弥は表情を驚きから苦笑にかえて、彼女の寝顔を見やった。勝手にさらしている彼女が悪いのであって、それを見る彼には何の非もないのだった。
彼女は、どうしてこうも簡単に、自分の前で眠ることができるのか。彼はいい加減つかれているので、気分を変えようと目の前の彼女に思考を遣ってみる。

毎日、それはもう毎日、いろいろな部活動を回っては甲斐甲斐しく世話をしてやっていたな。太陽光の下、どうやら持参の日傘を差しながら、グラウンドを回り、知り合いに声をかけ、そのまま体育館へと向かう。それから武道場へ。体力のありあまる運動部の為に、一度それが終わると、ここほどではないが空調の効いた保健室で待機した後、二度目の見回り、そして日が暮れる頃にもう一度最後のチェックに向かう。
彼女自身は運動部でもなんでもないので、太陽の下を一日歩き、人の相手をし、治療をしてやるのは、こんなところで眠るくらいだ、随分と体力を消耗しているのだろうか。


ただ、僕の居る応接室で寝るだなんて、胆が据わっている。


くすり、と、雲雀恭弥は笑った。胆が据わっている?彼女の場合、間抜けている、か、気を許しているのかどちらかだろう。


「…そうだね、普段、無駄に頑張っているようだから、今日くらいは見逃してあげるよ」


ううん、と小さくうめいた彼女がソファの上で丸まったので、雲雀恭弥は自分の座るソファに掛けたままの学ランに手を伸ばし、彼女に掛けてやる。
ふにゃりと笑ったその見慣れた顔が少し不細工で、そして酷く新鮮で、彼は小さく噴きだした。



Fin.



季節まるで無視。汗
アイスを食べる雲雀さんと、暑がる雲雀さんと、警戒心を抱かないふたり。
恋愛未満の友人位な関係というか…。
Emotion of Love様へ寄稿したものです。
御題に逸れているかが微妙なところではありますが、楽しかったです。
参加させて頂きありがとうございます。08/01/15

御題:もし優しさが、形を持っているならば(配布元:hazy